REMEMBER THE ATHELETE
(2009年1月14日 12:00)
マウンテンバイクダウンヒル、日本の第一人者・井手川直樹。甘いマスクだが、リスクとスリルに満ち溢れる急勾配を涼しい顔で駆け下りる。
FILE1.井手川直樹(マウンテンバイク ダウンヒル)
(プロフィール)
;1980年4月22日広島市生まれ。
中学3年時、本格的にダウンヒルのレースに参戦。
高校では競輪部に所属する一方、ダウンヒルの大会で実績を重ね96年にエリートクラス(国内3クラスの最高峰)に昇格し、その年の全日本選手権で優勝。
高校を中退し、マウンテンバイク一本にかけたプロ活動に入る。01年には日本人で初めて海外チームに所属し、ワールドカップに参戦する。
07~08年とアジア選手権を連覇。
今後さらなる活躍が期待されるダウンヒルの日本の第一人者。
ダウンヒルとは?
;夏場のスキー場や丘陵など、高低差のある急勾配をマウンテンバイクでいかに速くゴールまで駆け下りるかを競う競技。コースには石や砂利道、ドロップオフと呼ばれる段差などの障害が設けられ、また自然の木々もライダーたちを待ち受ける。バイクを巧みに操る技術や的確なライン取りが勝負の分かれ目となる。
<誕生日プレゼント>
小さい時から自転車が大好きでした。
まわりはサッカーや野球で遊んでいましたが、僕はとにかく自転車でしたね。大きな駐車場をサーキットコースに見立てて、よく競争していたんです。
11歳の誕生日に親からマウンテンバイクをプレゼントしてもらいました。ギア付きの自転車がどうしても欲しくてねだったんです。競技用ではありませんでしたが、前3段・後7段の、当時としては最もギア数の多いものでした。翌日から学校から帰ると毎日、暗くなるまで乗っていましたよ。
最大斜度は90度の崖、40度50度は当り前、最高スピード80キロで一気に駆け下りるダウンヒルの迫力は間近で是非味わって欲しい。
<ダウンヒルとの出会い>
その頃、まだマウンテンバイクをやっている人はそう多くはありませんでした。自転車屋さんにたまたま競技をやっている人がいたのがきっかけで仲間に入れてもらい、30、40分かけて山まで練習に行くようになりました。工事中の道路や木々を掻き分け、自分たちでコースを見つけては山を駆け下ります。よほどの大雨でも降らないかぎり、毎日でしたね。
あの時のバイクは自分にとって一種の玩具みたいでしたね。いろんなパーツをつけ自分仕様に改造する愉しみもあり、プラモデル感覚だったかもしれません。
それから3、4カ月後、地元でレースが開催されることになったんです。ダウンヒルではなく、3人1組で山道の周回コースを2時間で何周走れるか、という耐久レースでした。普段、あれだけ練習しているのにいざ競技となると、勝手がまるで違い、思ったようには走れません。
それでも勝って賞品をもらうことができたのは嬉しかった。このことがその後の自分にとって大きな励みになり、マウンテンバイクがさらに楽しくなっていきました。
<ジュニア日本一>
中学に入学すると陸上部に入部しましたが、籍をおいているだけで相変わらず毎日が自転車三昧の生活でした。バイク仲間の先輩に遠征に連れて行ってもらったり、実際にダウンヒルのレースを見ることもあり、ますますマウンテンバイクにはまっていきましたね。
アメリカやヨーロッパではすでに人気のスポーツになっており、専門誌をむさぼるように読み漁り、憧れましたね。
「スポンサーがつけば、競技のサポートも受けられる」というし、自分もやってみたいと思うようになっていました。
中学2年の時、安比高原(岩手)で行われた全日本ジュニア選手権で優勝することができました。以降、ジュニア部門では敵なしになりました。
<高校競輪部>
マウンテンバイクながらその実績が認められ、「競輪部入部」を条件に地元の高校から誘いを受けました。競輪をやりたいわけではありませんでしたが、マウンテンバイクの基礎トレーニングにもなるし、やって損はないだろう。それに高校へも行かなければいけないからと、進学を決めたんです。
でも部活は厳しかった。まず練習中に水を飲んだらダメ、頭は坊主。1周400メートルのトラックを2周半(1000メートル)のトライアル練習では足はパンパンに張ります。それでも、自転車から下りることは許されず、ネットに掴まった状態で次の号令が出るのを待ち、また2周半です。もう嘔吐ですよ。苦しいだけでまったく楽しくない。確かに、その先には勝つ喜びがあるのはわかってはいますが、そのような体力勝負が左右する競輪選手にはなろうとは思いませんでした。
マウンテンバイクのほうですが、部活が休みの日に練習していました。どんなに部活が忙しくても、時間を見つけて乗っていたんです。そして96年、この年から始まった全日本選手権で優勝することができたんです。これを機に自分を取り巻く環境が凄いことになっていきました。チャンピオンジャージをもらい、専門誌で大きく取り上げられ、スポンサーもつきました。
学校では競輪をやってもらいたい、しかし、プロとしてスポンサーからお金をもらうようになった以上、学校を休んでレースにも出場しなければならない。高校2年の時、中退し、マウンテンバイク一本でいく決心をしました。
(次号へ続く)
WRITER
- 黒井克行
- 1958年北海道旭川市生まれ。早稲田大学を卒業後、出版社勤務を経て、ノンフィクション作家として独立。著書に『テンカウント』(幻冬舎文庫)、『高橋尚子夢はきっとかなう』(学習研究社)、『高橋尚子勝利への疾走』(講談社α文庫)、『工藤公康プロフェッショナルの矜持』(新潮社)、『男の引き際』(新潮新書)などがある。日本大学法学部講師も務める。
MONTHLY SHOOTING
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[08/12/24]
『高陽経由バンクーバー行』 真央のハッピーフライト
[08/12/10]
『メッセンジャー』感謝。そして
[08/11.26]
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