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やっとつかんだ夢の舞台―拓殖大学、4年ぶりの箱根路(後編)

アスリートバンク サイト管理者 (2009年1月14日 11:10)

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やっとつかんだ夢の舞台―拓殖大学、4年ぶりの箱根路(後編)往路ゴールのテープを切る谷川(2年)。初めての箱根で、5区の山という大役を全うした。

第85回箱根駅伝

 戦国時代の到来を思わせる結果だった。東洋大学の初優勝で終わった第85回箱根駅伝。東海大学、順天堂大学、そしてあの駒澤大学。強豪校が相次いでシード権内から脱落し、来年は予選会から闘うことになった。だがその一方で、繰り上げスタートになったチームは皆無。もはや各大学の力量は拮抗してきている。どこが優勝してもおかしくない時代になってきた。そんな中、4年ぶりに箱根に出場する拓殖大学の成績は総合17位。目標だったシード権には届かなかった。

もともとの前評判で、本来の実力では厳しいといわれていた。往路終了時点で「復路スタートの6区が繰上げにならなかっただけよかった」と拓大OB会長が語るほどだ。それに加え、4年ぶりの出場ということで、選手にとっては初めての箱根。経験不足もあり、直前で体調を崩してしまった選手もいた。1区を走った小路(4年)は、当日の体調を見るまで走れるかわからなかった。最終的に補欠からのメンバー変更という形で出場することになったが、決して万全とはいうことができない状態で走り、1区は12位で襷をつなぐ。納得のいく順位ではなかった。

往路を終了して17位。「もっといけると思ったけど、うまくいかない」と川内監督は語る。だが表情に暗さはない。拓大は最初から復路での巻き返しを狙っていたからだ。往路をなんとか離されずに終え、6区・7区を勢いのある1年生で、それ以降を安定感のある4年生で締める。そんな構想を描いていた。だから川内監督はこう付け加えた。「でもタイム差を見たら、そこまで大きな差はない。だから復路でシード権争いに食い込みたいです!」。

やっとつかんだ夢の舞台―拓殖大学、4年ぶりの箱根路(後編)復路の戸塚中継所。浅田(4年・左)の好走で希望が見えた形で襷がつながった。「まだやれる!」と意気込んで鶴見に向かう西(4年・右)。

そして8区。希望の光が見えた。4年生の浅田が2つ順位を上げ、区間9位となる走りを見せた。「厳しい順位だったけど、なんとかシード権内を狙って走った。自分の役割は果たせたと思う」と、満足げに語る。川内監督も浅田の走る姿を後ろから見て「まだやれる!」と思うことができたという。

だが、それ以降は順位を上げることができず、シード権争いに加わることはできなかった。そして最後は身動きも取れないほど大勢の観客が見守る中、17番目に大手町のゴールテープを切った。4年ぶりの拓大の箱根駅伝はこうして幕を閉じた。
初出場同然でレースを楽しむ

 レースを振り返って、川内監督は「不本意といえば不本意な結果ではあるけど、よく(大手町まで)帰ってきたと思う」と話す。今年の拓大は初出場同然だった。川内監督は就任3年目。選手たちにとっても初めての箱根であったが、実は監督にとってもチームを率いての箱根は初めてだった。「すべてが初だったので、準備でいっぱいいっぱいになって、本番までの過程、練習だけに集中できなかった。監督として、私の責任が大きいです」。今回の結果の最大要因はその経験不足だった。

だが、8区を走った浅田(4年)が「あっという間で、楽しく走ることができました」と語るように、本番前に「久しぶりに出ることができる喜びを感じて、楽しむ」という意気込みは文句なしで達成できたようだ。もちろん目標だったシード権を逃したことに対する悔しさがないわけではない。4年生の西は「チームを引っ張ることができなかった」と反省する。だが「結果をあれこれ言ってもしょうがない。絶対に経験できないことを経験できた。そのことに意味がある。それに、あんな観衆の前で走れることなんて他にはないでしょう。楽しめましたよ」と、悔しさも反省もあるが、それ以上に川内監督は常に前向きな姿勢を見せる。

最初で最後の4年生の戦い

 川内監督は箱根に出場することそのものよりも、そこに至るまでの「過程」を大事にするということをしばしば口にする。「本番の華やかな部分ばかりが注目されるが、それまでの過程で選手たちは人として成長した。今年の4年生は最初、頼りない学年だった。けど、4年生になってから責任感が芽生えて、チームを引っ張ってくれるようになった。箱根に出ることができたのも4年生のおかげ。彼らの毎日の努力の結果なんです」。選手たち自身は、4年生はもともと自主性のある代だと自負していた。後輩からも信頼され、頼りになる存在だった。だが、監督の目はもっと厳しかったようだ。しかし、それでも最後は心から認めてもらえるようにまで成長した。2年前の予選会で1秒差に泣くという、どん底の悲劇からはい上がった。その結果、最後に初めて箱根駅伝出場という何物にも代えることができない宝物を手に入れた。最初で最後の夢の舞台。4年生自身の成長なしには手にすることができなかったものだった。「いろんな暗い事件などのニュースが溢れる今の世の中だが、彼らを見ていると何の心配もいらないと思うことができる」(川内監督)。

やっとつかんだ夢の舞台―拓殖大学、4年ぶりの箱根路(後編)走りきった直後の浅田(4年)。「自分の力は出せたと思う」と、すがすがしい表情で語る。

箱根は人として成長できる場

 最初で最後の夢の舞台は17位と、目標のシード権内には届かなかった。だが、勝つか負けるかだけで箱根の価値は決まるのではない。「一生懸命やったことで、何かを得るということが最も大事。走った経験を生かして、人として成長しなければ走っても意味がない」(川内監督)。「出ることに意義がある」なんてありきたりの決めゼリフを言いたいのではない。拓大の選手たちは今年、予選会を突破し、箱根に出るという経験をしたことで人として成長した。自主性と自信が芽生え、責任感が増し、チーム内に強い信頼関係ができた。それだけで、いや、それがあったからこそ箱根に出たという経験には大きな意義があるのだ。

 とは言っても、本番で走れる選手はたったの10人。当然チーム内の争いがあり、レースに出ることができた4年生がいる一方で、出ることができなかった4年生もいる。それ自体は必然的なことだ。それでも川内監督は言う。「走れた選手も走れなかった選手も箱根に携わったということを忘れずにしてほしい。これからは苦しい時、箱根に向けた苦しい練習を思い出して頑張ってくれれば、どんなことでも乗り越えることができるはず」。走ることができなかった選手も、監督が重視する「過程」の中に、それぞれ何かしら得たものがあるのだ。

4年ぶりに出場した、初出場同然の箱根。拓大の選手たちは各々の人生の中で間違いなく最も大きな経験をした。だが、これで終わりではない。この経験を次に生かさなければ何の意味もない。4年生は卒業後も実業団で陸上を続ける選手も多くいる。「この経験を生かして、最終的には日本選手権に出れるようになりたい」(浅田・4年)。川内監督も言う。「来年絶対にまた帰ってきて、今度こそシード権争いをします!」。夢を持った者は強い。あらゆる困難を乗り越える力を持っている。選手たちの挑戦は終わらない。そして拓大の挑戦も終わらない―。 

(終)

WRITER

矢沢彰吾
1986年 神奈川生まれ。サッカーを始めとしたスポーツ、国際紛争まで幅広い活動を展開する新進気鋭のジャーナリスト。

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