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短期集中連載 第3回 『だからオリンピックはやめられない ロンドン五輪へ向けた体制』

アスリートバンク サイト管理者 (2008年12月24日 18:16)

新旧交代

北京五輪が終わり、多くの競技団体で、日本代表のスタッフがかわった。代表のありかたも、かかわるスタッフによっておのずと変化する。
それもまた、大会での成績に大きくかかわる。
例としてあげられるのが、一時の不振を脱し、安定した結果を残すにいたった競泳である。

12月、競泳の日本代表強化合宿が行なわれた。北京五輪が終わり、2012年のロンドン五輪を見据えての新たなスタートである。

平井伯昌北京五輪後、日本代表ヘッドコーチに就任した北島康介の"師匠"、平井伯昌氏。

日本代表ヘッドコーチには、鈴木陽二氏にかわり、北島康介、中村礼子らを指導してきた平井伯昌氏が就任した。
その意味でも、新しい日本代表が始まったといえる。

日本競泳界の迷走と再建

その競泳は、体制、組織作りによって、成績が大きく変わった競技である。

北京五輪で北島の金メダル2個を含め、5個のメダルを獲得したが、北京にかぎらず、近年では五輪や世界選手権など国際大会で複数のメダルを獲得し、存在感を示している競泳だが、実はほんの少し前は、好成績を残せずにいた。そこから今日までたどり着くには、日本代表の体制のありかたから作り直す努力があったのである。

とくに、'96年のアトランタ五輪で、どん底といってもよい状態を味わってから、再建がなされた。

競泳は、'88年のソウル五輪で鈴木大地が背泳ぎ、'92年のバルセロナ五輪では岩崎恭子が平泳ぎで金メダルを獲った。だが代表全体を見渡すと、まだ世界とは距離があった。

'96年アトランタ五輪を前に、状況はかわる。大会を控え、世界ランキングで3位以内の選手が複数に上ったのである。

当然、「メダルを複数狙える。金メダルも十分」と期待が高まり、史上最強の競泳日本代表といわれることもあった。

ところが五輪本番では、正反対の結果に終わる。金メダルはおろか、メダル一つすら獲得できなかったのである。多くの選手が、自身の持ちタイムを大きく下回ったことが原因だった。つまり、実力を出し切れなかったのである。

五輪後、体制は一新した。ヘッドコーチに就任したのは、上野広治氏だった。

上野氏は、アトランタの競泳日本代表を分析し、こう結論付けた。
「チームになっていなかったのが敗因」
競泳は個人競技であるにもかかわらず、チームになっていなかった、とはどういうことであるのか。

上野氏は、こう考えたのである。
「競泳は個人競技ではあるが、五輪のような大きな舞台では、個々でプレッシャーを受け止めることになっては、潰れてしまう。アトランタは、だから実力を発揮できなかったのだ」
「お互いに情報を共有する意識がないから、必要な情報を知らずに戦う選手も出てくる」

WRITER

松原孝臣
1967年、東京都生まれ。早稲田大学を卒業後、フリーライターとして活動。1998年から「Sports Graphic Number」編集部に勤め、今年独立し再びフリーに。夏季・冬季両方の五輪種目を中心に取材活動を行なう。著書に『高齢者は社会資源だ』がある。

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