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『アスリートの品格 仁志敏久(後編)』

アスリートバンク サイト管理者 (2008年12月10日 17:45)

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仁志敏久06年。プロ11年目にして初めて開幕スタメンを外れた。2軍落ちの通達を受けた時は、あまりのショックと動揺で、鼓動が大きく、速くなるのを感じたという。

苦悩のシーズン幕開け

プロ入り以来初となる開幕をベンチで迎えた06年シーズン。開幕戦でのスタメン落ち。振り返ればこの出来事は、波乱のシーズンとなったこの年の、ほんの幕開けでしかなかった。

7月、8月と2度の2軍降格。9月に思わぬ形で迎えたシーズンエンド。そしてジャイアンツのユニフォームに別れを告げた11月。激動の1年を振り返る。

開幕からベンチを暖めることが多かったが、仁志は自分のやるべきことに集中していた。
試合中、ベンチ内ではグラウンドに近い位置に陣取り、身を乗り出して積極的に声を出した。

「自分では試合に出ているつもりでいる。自分の出番が来た時に、すんなりゲームに入っていけるように。なるべくグラウンドとの境目をなくしたいからね。じっとしていられないタイプだし」

そして、気が付いたことがあればアドバイスを送る。
「大したことじゃないけど、ベンチにいると気付くことも多いから。選手の邪魔にならない程度にね」

この年、ジャイアンツの記録的な開幕ダッシュの中で、仁志は陰の功労者というのがマスコミの論調でもあった。
しかし、当然仁志はそんな論調に甘んじているわけにはいかなかった。
ジャイアンツのセカンドは自分しかいないという自負がある。

試合終了後には、バットを持ってブルペンに行きティーバッティングで汗を流す。試合後の仁志はロッカーから引揚げるのがいつも遅いので、帰り支度になぜそんなに時間がかかるのかと不思議に思っていた。だが、折を見て聞いてみると、試合後はいつもランニングマシンを漕いでいたという。「心拍数を上げとくため。出番がなくても息を上げときたいから」

やれることはやっている。しかし、グラウンドではなかなか結果を出すことが出来なかった。慣れない途中出場。失敗の許されない代打起用。たまにスタメンで起用されても、結果を求めて知らず知らずのうちに自分に過度のプレッシャーをかけていた。
とにかく結果を出さなくては。絵に描いたような悪循環に陥った。

7月1日。阪神戦の試合後。いつものように、試合後の取材をすべく東京ドームのロッカールーム前通路で待っていると、我々の目の前を8番と刺繍がされた大きな荷物が台車に載せられ通り過ぎていった。どこからともなく報道陣の誰かが口にした。「2軍行きだ...」
荷物に遅れること数分。本人も無言で東京ドームを後にした。

WRITER

小川直樹
1972年生まれ。スポーツライター。プロ野球を中心に幅広くスポーツ界の取材を行う。米国4大スポーツにも精通。NFL専門誌「タッチダウンPRO」に寄稿。06年ブログ「仁志敏久取材日記」以来のネット界進出。

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