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北京五輪女子マラソンを制した38歳の"新星" トメスク(ルーマニア)の正体

アスリートバンク サイト管理者 (2008年10月14日 20:00)

ディタ コンタンティナ トメスク

この名前を御記憶でしょうか。北京五輪で女子マラソンに優勝したルーマニア選手。

私と彼女が初めて会ったのは、今から10年前。ルーマニアでした。当時、私はルーマニアの新星、リディア・シモンをマネージメント、コーチングアドバイスをしており、年に3-4回同国を訪問していました。まだまだ、社会主義国家から完全に脱却が進まず、混沌としている同国での陸連との交渉、選手発掘、ままならない私のルーマニア語、ままならない彼らの英語、ほとんど紙に絵を書いての筆談ならぬ絵談で、当時は同国の埋もれた選手発掘をしていました。

ちょうど、大阪国際女子マラソンでシモンが初優勝したことでルーマニアからコーチングやマネージメントの依頼が多数飛び込んでくるようになりました。そんな中、陸連幹部のガブリエル コンスタンチネスク氏(故人)が、「一人いいのがいるが、非常に気難しく、女手一つで子供を育ててる選手だが、見るか」って紹介されたのが彼女だったんです。

翌日、夜行列車に揺られて、ルーマニアの首都ブカレストから北へ陸連合宿所のある、オラデアからフェリックスまで足をのばしました。冬の寒い中、列車は暖かく快適でしたが、窓の内側は氷がびっしりとはりつき、外気は少なくともマイナス20度までさがっていたはずです(注:ルーマニア選手はそれくらいの外気でも平気で練習する)。

オラデアに到着し、長距離選手が合宿するフェリックスに向かうと何やら回りが湯気だらけ。異様な雰囲気が漂っていました。練習場所につくと、夜行列車の窓についた氷が懐しくなるくらい気温が上がっていました。氷点下1-2度くらいで、そこはハンガリーとの国境で、地下にはたくさんの温泉があり、その地熱が気温を上昇させていたんです。

そんな環境の下、多くの選手が練習し、陸連幹部から言われて居た選手を探すのは容易ではありませんでしたが、選手自ら私の方に歩み寄り、話が始まりました。ディタ・コンスタンチナ(当時未婚)、そしてコーチのバレリー・トメスク。

当時彼女は離婚した直後で、子供を引き取り、練習と家事、子育てと1人3役をこなしていました。選手レベルでは、まだまだでしたが、ちょうど出産から4年の歳月がすぎており、体も元の状態に戻り、走る距離ものび始めていました。英語はほとんど話せず、身振り手振りでお互い会話しながら、練習を見せてもらいました。まだ大学を卒業したばかりのトメスク氏がなぜ彼女のコーチであったのか不思議でしたが、その理由がわかるまでそう時間はかかりませんでした。案の定、その後、二人は結ばれました。

当時、私は彼女のことを「プシャ」と呼んでいました。此れはルーマニア語で「お人形」という意味で、彼女の表情は整っていましたが、豊かではなかったからです。

しかし、練習ですが、私が一目惚れするほどの動きを見せてくれました。腰の位置が高く見るからに「この子は走れる」って雰囲気が漂っていました。彼女の動きはマラソンよりトラックでのイメージが強く、実際にトラックでの実績もありました。が、シモンの影響で早々にマラソンに移行してしまいました。コーチであるトメスク氏の指示でした。

ところで、その彼女のコーチ・トメスク氏ですが、ルーマニアの体育大学を卒業後、兵役任務に2年間つき、除隊後、コーチに。それまで選手育成の経験すらないズブの素人でしたが、勉強意欲は旺盛で、野心家。その一方、お酒に溺れることもあり、毎晩、かなり飲んでいましたねえ。

彼女は当時走りに対しては最高の動きと体をしていましたが、心の支えであるコーチがいなかったことで、長らく伸び悩んでいたんです。そんな時、バリー(トメスク)が現れ、彼の指導をあおぐことになります。彼女の1日の基本形は、十分に睡眠をとり、起きたら軽い散歩、朝食をしっかり取り、午前の練習は10時からスタートしていました。

あの頃ルーマニアの田舎は、まだ馬車が走るのどかな雰囲気で、ロード練習では車を気にせず走れる環境でした。朝、長い距離をこなす時も、必ずスピードを加え、ただ単に距離をこなすのではなく、速いペースで押し込む。約2時間くらいで終えて、お昼を摂る。通常の練習の後は、すぐには食事をとれませんが、彼女は、しっかりチキンスープと鶏肉を食べていたのを覚えています。また恐ろしいくらいの食欲だったこともね。

ルーマニアの選手の多くがそうしてるように、プシャも食休みをしてから、昼寝にはいり、約1時間しっかり休みます。夕方4時くらいに起きて、また軽くゆっくりと60分から90分走っていました。

WRITER

岡本英司
1957年9月24日大阪府生まれ。米ワイオミング大学を卒業後、コロラドで理学療法士となる。コロラド大学陸上部コーチを務める一方、91年から世界陸上のレギュラー解説者となり、96年には陸上競技のマネージメント会社を設立。日本人初の国際陸連代理人となる。ルーマニア陸連のアドバイザー兼同国のマラソン選手育成もする。現在、米カリフォルニア州デービスで、世界で一つしかないスタイルのフィットネスジムを経営する傍ら、UCDAVISDで陸上の跳躍コーチ。また、中東カタールのコーチのコーディネートも務める。

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