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さらば清原和博!男の生き様見たり

アスリートバンク サイト管理者 (2008年10月14日 01:46)

清原和博写真

長い付き合いだった。正確に記せば、長い間、頭の片隅から離れることがなかった。西武、巨人では数シーズン番記者として付き合い、担当を外れていても、何らかの形で取材に出掛けた。巨人を退団してオリックスに移籍してからは、東京と神戸という距離もあり数えるほどしか顔を合わすことはなかった。それでも、記者生活の中で最も長い時間、かかわってきた野球選手だった。一人の選手というより、一人の男の生き様を見てきたような気がする。

初対面はひどいもんだった。忘れもしない西武球場(現西武ドーム)の選手駐車場から合宿所へ向かう小道でのこと。声を掛けて、あいさつした。彼の発した声は「はぁ」のひと言。振り向きもせず、目を合わせることもなく、名刺だけ受け取った。試合を終え、球場と同じ敷地内にある「若獅子寮」と呼ばれる独身若手選手の合宿所へ戻っていた。

清原和博。当時21歳だった。

今よりも頬がこけ、体全体の線は細かった。険しい表情。「余計なことを聞くなよ」と言わんばかりに、寄せ付けない雰囲気を漂わせていた。

マスコミの評判は総じて悪い。「せやかて、何しゃべっても好き放題書かれるんやから。だったら、しゃべる必要ないやん」。プロに入った直後、ベテラン記者に囲まれて、直立不動で答える日々が続いた、という。「えらそうに聞いてくる人が多かった。新人のくせに態度が悪いと言われたり、書かれた。あれが(記者に対して)トラウマになったな」。随分後になって、そう語ってくれたことがあった。

選手の本音に触れることは、記者冥利(みょうり)に尽きる。それを字にする、しないかは状況次第だが、日々の新聞に掲載する野球の記事の「行間」には必ず生きてくる。政治記者も芸能記者も「番記者」という言葉があるように、プロ野球担当もそう呼ばれる。何せ朝から晩まで、元日から大みそかまで、である。家族よりも長い間、同じ場所で過ごす。そうして密着することで見えてくるものがある。冒頭に「生き様」という言葉を使った理由(わけ)は、そういうことである。

清原和博という男を、どこまで理解していたかは自分でもはかりしれない部分がある。それでも会話し、食事をともにすれば、彼がどういう男だったかは多少なりとも分かっていたつもりである。

たとえば現役最後となった10月1日の引退試合。グラウンドに姿を現した時も打席に入る前も、清原は今までずっとそうしてきたように、深々と一礼した。バットをひと握り短く持ち、最後まで自分の打撃スタイルを貫いた。小学3年から始め、30年以上、ボールを打つことにすべてを費やし、体に染み付いたものは消えていなかった。

激しい言動や風ぼうから、暴れ馬のようなイメージが定着していたが、こと野球に対して真っすぐな生き方だったのでは、と思う。真っ向勝負を好み、野茂英雄や伊良部秀輝ら速球派とは名勝負を刻んだ。引退の際、印象に残った投手に松坂大輔の名を挙げた。勝負度外視のような直球対決は、見方によっては清原の勝手な流儀。だが、野球界の暗黙のルールをクローズアップさせたのも、清原ならではだった。

清原和博写真


大差がついた試合でヤクルト藤井が打席でバットを振り、一塁まで全力疾走。「お前、野球知っとのか」と記者席にも届く声で怒鳴り挙げた事件。メジャーでも、大量リード試合で盗塁しても記録されない。姑息(こそく)な戦術という位置付けなのだろう。日本球界の流儀とされるものも、いくつかある。投手である藤井はこんな状況ではバットを振らずに潔く三振してベンチに帰るのが、敗者に対するいたわりとされるのである。

阪神藤川が8点リードの9回2死満塁からフォークを投げ、三振に倒れた清原は「ケツの穴が小さいわ」と罵倒した。藤川は落ち込み、2カ月後に巡ってきた対戦ではストレート勝負で三振を取る。清原は完敗を認めた。このシーズンに藤川が大ブレークしたわけだが、清原への感謝の言葉を述べていたのは印象的だった。

清原の野球観と言えばそれまでだが、その影響力の大きさから周囲をどんどん引きずり込んでいった。35才のころ、本気でバリー・ボンズになろうとしていた。バットを取り寄せ、耳にピアスもつけた。野球へのいちずな思いを持ち続けた男とでも言えようか。冒頭で書いたように、記者である私も、頭の片隅から離れない男だった。

ドラフトで巨人に裏切られ、それでも忘れられない「初恋の相手」の元へFAで移籍したが、また突き放される。ファンはそうした生き様、悲哀に、自分自身を投影する。巨人という野球界の大権力に立ち向かい、はね返され続けた男の姿に、掛け値なしで惹かれたのだろう。

清原和博写真

引退試合では、在籍した3球団や恩師への感謝の言葉を並べた。会見では最後に立ち上がり、詰め掛けた報道陣に対して「これまでいろいろわがままをしてきたと思います。これも弱い自分がいたからです。こういう自分を許してください」と頭を下げた。拍手が自然とわき起こった。西武時代、巨人時代と清原の生き様に引き寄せられた番記者たちが、最後の姿を見ようと全国各地から球場に顔を揃えていた。そんな選手だった。

(終)

WRITER

田誠
大阪府出身。岡山大学出身、45歳。日刊スポーツでプロ野球、大リーグ、五輪、サッカー日本代表などを担当。森西武、長嶋巨人、岡田マリノス、ジーコジャパン、イチローのデビューを取材。今年は五輪開催地の北京にも足を運んだ。

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