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『握りを拳からシャリに替えて』 元プロボクシング日本ジュニア・フェザー級チャンピオン 現・『鮨処 いわ本』(東京都板橋区大山)店主、岩本弘行(前編)

アスリートバンク サイト管理者 (2008年10月14日 22:25)

『握りを拳からシャリに替えて』 タイトル

『握りを拳からシャリに替えて』 イラスト

「ヘイ、いらっしゃい!」

ひときわ威勢のいい掛け声が狭い店内に響く。寿司というなまものを扱ったお店にこの活きのいいひと声はよく似合う。実に気持ちがいい。暖簾をくぐった瞬間、それだけで気分はすでに満腹だ。
東京都板橋区、東武東上線「大山」駅から徒歩1分のところに件の『鮨処 いわ本』がある。

カウンターの向こうに立つ店主は声だけでなく、笑顔を絶やさず実に人当たりのいい寿司職人......のように見えるが、かつては両拳に身を託し、リングで死闘を演じてきたプロボクサーである。

「ここに店を出して丸9年になります。27歳でボクシングの世界から引退し、寿司屋は34歳から修業に入り、かれこれ17年握らせてもらっています。寿司屋はボクサーになる前からやってみたかったんです」

『握りを拳からシャリに替えて』 店主

それにしても、ボクシングと寿司屋の間になかなか接点を見出すことができない。白い歯など決して見せることのない、孤独にリングで闘うボクサーが、愛想を不可欠とする客商売にどうしても結びつけることがむずかしいのだ。だが、岩本を知る誰もが口を揃えて「天職を得た」と言う。生真面目で人懐っこい性格を証してだろう。
「寿司は大好きですし、商売もうまくいっていますが、店を出した当初、ボクサーを馬鹿にした態度をとるお客さんに腹を立て、出ていってもらったことがあります。
チャンピオンだったことへのプライドが先に立ってしまったんでしょう。もちろん、もうリングに立てるわけはありませんが、今でもそのプライドだけはあります。正直、ボクシングに未練がないといえば嘘になりますからね」

岩本は中学を卒業した翌日、「チャンピオンになってくる」と言い残し、故郷・小田原を後にした。憧れの世界ライト級チャンピオン・柴田国明が所属する東京・目白のヨネクラジムの門を叩くが、以降、一日たりともトレーニングに汗しない日はなかった。日中は宝石会社で職人として働き、午後6時半からジムで2時間たっぷりと汗を流す。

才能に恵まれたとはいえなかったが、"努力の天才"とは岩本のためにあるような言葉だった。そもそも入門当初の彼を知る中に、果して後に岩本が腰にベルトを巻くことを信じたものがいたのか。が、......。

『握りを拳からシャリに替えて』 リングコーナー

全日本新人王に輝き、さらに日本フェザー級チャンピオンの座に就いた。通算で10度の防衛も果たしている。生涯戦績36戦25勝(4KO)8敗3分。今では30戦以上もキャリアのあるボクサーは稀である。
岩本は「無事是れ名馬」に数えられていいだろう。ただ、彼の右目の瞼は歴戦の裂傷で試合の度に口を開け血を吹き出した。勝利と共にいつもトランクスを真っ赤に染め、それがまた岩本の悲壮感を煽り、ファンを熱くしたのである。リングをところ狭しと足を使って動きまわる。KOで勝ったのはわずか1割強に過ぎず、派手さはなかったが、玄人好みするボクサーだった。

引退のきっかけは、若いボクサーに王座を奪われたことだった。「俺ももうそろそろかなあ」

引退後、岩本は宝石会社で今度は営業マンとして働き続けたが、取り巻く環境は一変した。一部だろうが、社内の彼を見る目が変わっていたのだ。年下の社員がそれまでボクシング中心で十分に仕事を覚えていなかった岩本に対してここぞとばかり、嫌がらせを始めたのだ。
昨日までのチャンピオンベルトは担保だったというのか。

以後、岩本は何をするにしても、30歳の遅咲き"新人"というハンデが付きまとうことになる。34歳で寿司屋に修業に入ったが、まわりはすべて10 代の若者だった。岩本は若いボクサーに引導を渡されて引退した挙げ句、第二の人生まで若さに押し切られてしまうというのか。

(次号へ続く)

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