アスリート列伝 凄い奴がいた
第7回 青い稲妻・松本匡史
対怪物軍団
1974年(昭和49年)母校早稲田大学の監督に就任した私は120名の部員を前に、開口一番こう宣言した。
「前期シーズンのレギュラーを白紙にし、全部員の中から競争によって新レギュラーを決める」
それは法政大学に、あの甲子園をわかせた全国の有望な高校球児たちが続々と入学したからだ。作新学院の江川卓(元・巨人)を筆頭に静岡高校の植松(元・阪神)、広島商業の佃、金光(現・法大監督)、静岡自動車工業の袴田(現・ロッテコーチ)等、プロ野球の重挺の選手達が入った。このチームに対抗するには、手作りで鍛え上げるしかないと思った。そこでまず、全部員の体力テストを行った。
私の持論は「身体能力の優れた者ほど将来大きく伸びる要素を持っている」だった。
立ち幅跳び、遠投力、跳躍力、50メートル走。部員達の中で抜群の跳躍力を見せた選手がいた。それが松本匡史だった。立ち幅跳びで3m20cmを記録し、跳躍力は80cmを超えた。
体力測定の後、私は一人一人にノックして守備力、スローイング、野球センス等をチェックした。松本は外野手であったが、まだ体が細く、肩も弱かった。しかし、足腰は柔軟で、大柄な体の割には身のこなしが良かったので鍛えれば大型の三塁手になれると直感した。
私は松本を三塁手のレギュラーとして抜擢した。
私は部員達の前で「松本!君が早稲田を卒業する時、ジャイアンツの長嶋監督が『松本をジャイアンツに欲しい』と言って迎えに来るような大型三塁手にしてみせる」と言った。
試合にまだ一度も出たことのない、まだ二年生になったばかりの外野手の松本を三塁にコンバートして、その上「長嶋監督が引っ張りに来る選手にしてみせる」と部員の前で公言してしまったのだから、「新監督は何を大ボラを吹いているのだろう?」と部員達が首を傾げたのも無理はない。
スピード野球
私はスピードがあり、スケールの大きい野球が好きだ。私は早稲田は伝統的に打撃は良いのでそれに走力を備えたスピード野球を加えたかった。そのためには選手の意識革命が必要だった。
春のリーグ戦から「スピード野球」をキャッチフレーズにして、「レギュラーは最低5個以上の盗塁」のノルマを掲げ、安部寮の壁に貼りだし、グラフを作って競争させた。
大柄な松本は盗塁するたびに自信をつけ、ダイナミックな走塁で六大学リーグ戦の記録となる、15盗塁のタイ記録を作り、一躍注目の的になり、大々的にマスコミにも取り上げられるようになった。チームも戦後の盗塁記録を塗り替えてしまった。
松本の足に引っぱられる形で、私は監督就任早々、優勝することができた。そして、六大学を代表して大学野球選手権大会にコマを進めた早稲田は決勝で東都代表の駒沢と対戦することになった。
駒沢には中畑、二宮、平田(後に三人揃って巨人入り)や森繁和(現・中日コーチ)等、そうそうたるメンバーが揃っていた。
この試合でセカンドランナー松本は1アウト一・二塁で見事な三盗を決めた。次打者のセンター前ヒットで返り、逆転のお膳立てをし3-2のスコアで勝ち、大学日本一になった。
勝因はあの三盗を決めた松本の足だった。その後、松本は大型の走るトップバッターとして六大学を代表する選手になり、全日本チームのメンバーにも選ばれ、大活躍した。
対法政戦、9回に2点リードされた場面だった。六大学を代表する江川卓、袴田のバッテリーで簡単には盗塁できない。ノーアウトで松本がランナーに出た。私はタイムを掛けて、松本を呼んだ。「ここは1点差なら思い切って盗塁も考えるが2点差だから無理をするなよ」と言った。松本は「はい。わかりました」と答えて一塁に戻った。その直後、江川が投球した1球目に直ぐセカンドに盗塁した。そして続く二球目になんと三盗を決めてしまった。私はベンチであっけに取られていた。松本は私の忠告もなんのその、よほど自信があったのだろう。凄いランナーに成長した!と私は舌を巻いていた。
脱臼癖
松本は順調に成長を遂げていたが、三塁ベース上でランナーとの交錯プレーで、左肩を脱臼するアクシデントに見舞われた。これが脱臼癖となってしまった。
松本が4年生になった秋の早慶戦の第一戦は雨のため順延になり、早稲田は神宮の室内練習場を借りて練習した。その打撃練習中、空振りをした松本はまたしても左肩を脱臼してしまった。
最後の早慶戦だけに、どうしても出たい松本は自転車屋に行ってチューブをもらって来た。それを左肩にぐるぐると何回も固く巻き締め、左肩を固定した。松本はゲーム中、一度も痛そうな態度は見せなかった。それどころか、何と早慶戦史上初めての満塁ホームランを打ってしまったのだ。
松本はその秋、プロ球団から入団を打診されたが、左肩の脱臼に不安を持ち、社会人野球の日本生命に入社を決めた。
11月17日のドラフト会議前日、巨人軍の長嶋監督から私に電話が掛かってきた。
「松本選手はスカウトの報告では左肩の脱臼癖でプロ入りを断念し、社会人野球に行くと聞いている。でも私はどうしても諦めきれない。今夜、本人にぜひ会わせて欲しい」と連絡が入った。「わかりました。自宅に松本を呼んでおきますからどうぞ直接話して下さい」と答えた。
松本をどうしても獲得したい長嶋監督は自ら勧誘に動いた。口角泡を飛ばして熱弁をふるい松本を口説いた。左肩に不安を持つ松本はそれでも断った。とうとうドラフト当日の午前3時になり、長嶋監督は自宅に帰っていった。
それでも諦めきれない長嶋監督は、強引にドラフト会議場で松本を指名してしまった。ドラフト会議場から巨人軍のスカウトが私に「長嶋監督には松本選手は社会人野球に行く、と報告してあるのに指名してしまった」とすごく慌てている様子の電話がかかってきた。
"青い稲妻"誕生
その長嶋監督の熱意に打たれ、松本は巨人軍入団を決意した。左肩をかばうために松本はスイッチヒッターに転向した。巨人軍のトップバッターとしてベストナイン、盗塁王に輝くなど大活躍した。青い手袋をつけていたので『青い稲妻』とニックネームを付けられた。
1983年(昭和58年)チームのトップバッターとして、セ・リーグ優勝に大きく貢献した。もの凄い奴・松本匡史選手の一シーズン76盗塁は未だにセ・リーグ記録として燦然と輝いている。
巨人―阪神戦で1点負けている場面で、9回2アウトから長嶋監督は松本をピンチランナーで使ったことがある。私はラジオの実況放送を聞いていて当然走らせると思っていた。
松本はその通り、盗塁した。次の打者が同点打を放ち追いつき、巨人が勝った試合がある。評論家達はこの作戦を「セオリーを無視した長嶋采配」と批判して大騒ぎになった。
長嶋監督は松本を走らせてもセーフになる確率が高いと思ってとった作戦である。
私は早稲田の監督時代、明治神宮大会で東海大学との試合で9回、1点負けている試合でサードランナー松本の時、一塁ランナーを走らせ、ダブルスチールのサインを出したことがある。キャッチャーがセカンドに送球したら私は松本の足だったらセーフになると確信していたからだ。隣に座っているマネージャーが「監督さん、アウトになったら試合に負けてしまう。サインを出さないで下さい」と言って、私の手を押さえ込んだ。
私は「失敗したら負けてしまうこの勝負の場面で、松本が躊躇するような度胸のない選手だったら、トップランナーじゃないよ。松本はきっと成功するよ」と言ってサインを出した。見事、松本はタイミングよく、ホームに飛び込んで同点にし、勝利をおさめた。
だから、ラジオを聞いていて、大学時代からそんな場面で何回も経験してきた松本ならビビらずに絶対成功すると思っていた。
最近では当たり前になった作戦も松本が成功して勝った阪神戦からクローズアップして使われるようになった。
08年の日本シリーズでも3勝3敗で迎えた第7戦、1点負けている8回、西武の片岡がノーアウトから初球を盗塁してチャンスを掴み、逆転勝ちし日本一になった。
野球界のセオリーを変えた男、それは松本匡史という凄いやつの足にあった。
松本は現在は評論家として活躍するかたわら、少年達の指導もしている。野球の原点はスピードにある。ぜひ、少年達に走ることがいかに戦力になるか、その意欲を植え付けて欲しい。
(終)
WRITER
- 石山健一
- 1942年静岡市生まれ。高校3年時、夏の甲子園で準優勝しベストナインに選ばれる。早大、日本石油(現・新日本石油)でも活躍を続け、74年早大の監督に就任。80年プリンスホテル監督、そして89年全日本の監督も務め、95年(~99)長嶋監督の招きで巨人に入団し、編成部長等を務める。現在、アマチュア野球チームの指導と講演活動で全国を飛び回る。
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