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六さんのスポーツ一刀両断!
第7回 上原 甦るかフォーク

 

上原浩治02年日米野球にて。上原はバリー・ボンズを三振にとったが、メジャーのグラウンドで再現なるか。

<夢の大舞台へ>

フリーエージェント(FA)宣言をして読売ジャイアンツを退団した上原浩治(33)のボルティモア・オリオールズへの入団が決まった。14日には現地、ボルティモアで記者会見がある。スポーツ各紙は、こぞってフロントページだけでなく中面までも見開いて大々的に報道した。そのなかで目を引いたのが都内のグラウンドで自主トレーニングする笑顔の上原を望遠レンズで捉え、「大学時代からの夢・大舞台へいざ飛び立つ」の見出しだった。

大学時代といえば、すでに10年が過ぎている。当時のことで記憶に残るのは、上原が大阪体育大3年のとき、インターコンチネンタル野球の決勝戦で最強キューバに立ち向かい、国際試合の連勝を「151」で止めたことだ。アマ球界では、いまだに語り草の勲章である。

<葛藤>

そうだったのだ。上原という男、後年の契約更改の折などに、短い言葉で「大リーグ」を口にしていたが、胸のうちにはメジャー・リーグのマウンドに立つ夢を諦めることなく、ずっと描き続けていたのだ。

読売球団にはシアトル・マリナーズのイチローやボストン・レッドソックスの松坂大輔のようにFAを待たずにポスティング・システム(入札制度)でのメジャー入りを直訴したようだ。しかし、そのつど、返ってきたのは「ノー、FA権取得まで待て」だった。ルールがある以上、従わざるを得ない。

巨大戦力の構築が命題の読売にとって上原の力量はなくてはならない戦力であることは明白だった。まして、"ドン・ナベツネ"(渡邊恒雄会長)はポスティングでの大リーグ行きを苦虫を噛み潰すように毛嫌いしていた。さらに、球団経営はほとんど一人勝ち。イチローと松坂を手放したオリックス・ブルーウエーブと西武ライオンズのように、球団の一時収入となる入札金などには目もくれなかった。かくして、上原は大学時代からの夢を実現するために10シーズンという歳月を待たなければならなかったのだ。

この間、とくにここ2、3年の上原の胸中を忖度してみる。そこにあったのは、FA権取得を一日千秋の思いで待つ一方、忍び寄る体力の劣化をどのように防ぎ、維持するかの心の葛藤だったであろう。一昨年シーズンは両足の故障で出遅れた。昨シーズンも回復が長引いて26試合の登板にとどまり6勝5敗1セーブ、二軍落ちまで経験した。

 かつて相手打者を呆然と見送らせた伸びのあるストレート、分かっていても空を切らせた鋭く落ちるフォーク、バットの芯をはずすスライダーは影をひそめていた。「衰えたり上原」だったのだ。

<ア・リーグ東地区>

 ボルティモアへの入団を知ったとき、「一刀両断子」は思わずつぶやいてしまった。「なんだって、よりによってボルティモアとは...えらいチームを選んだものよ。厳しいー」と。

 根拠を簡単に説明しよう。まずは、ボルティモア・オリオールズが所属するアメリカン・リーグ東地区のチーム構成だ。ここには宿命のライバル、ニューヨーク・ヤンキースとボストン・レッドソックスがしのぎを削る。また、昨シーズンに両チームを退けた新興のタンパベイ・レイズ。そしてトロント・ブルージェイズがいる。共通するのは、強力打線がチームの屋台骨であること。ア・リーグはDH制でもあって、東海岸の相手は息を抜けない難敵ぞろいなのだ。

 つぎに、レイズとブルージェイズのホーム球場は、ボールが飛ぶといわれるドームスタジアムだ。もう一つ、オリオールズとレッドソックスの球場は左翼フェンスが近い。つまりは「投手泣かせの球場」なのである。ちなみに、オリオールズの昨シーズンのチーム防御率は全30球団中29位の5・13、与四球は687個のワースト記録。先発投手陣で10勝以上をマークしたのはJ・ガスリーひとり(10勝12敗)。延べ13人の投手が入れ替わり立ち代わり先発のマウンドに立って最後までローテーションを固定できなかった。

<メジャースカウトの杞憂>

 オリオールズの上原獲得にはどんな事情があったのか。旧知のニューヨーク・メッツの環太平洋担当部長、大慈彌功(おおじみ・いさお)スカウトに電話を入れてみた。氏は日本在住の米大リーグ・スカウトの草分け的な存在で知られる。

先年、拙著「名スカウトはなぜ死んだか」を贈呈したとき、心のこもった長文の礼状をもらったことがある。同著はイチローを発掘したオリックス編成部長で、僕とは早大野球部の同期だった三輪田勝利氏(98年、入団交渉の裏金要求を苦に沖縄で自死)の波乱の野球人生を綴ったもの。礼状にあった三輪田とのエピソードの部分を引いてみたい。
 「関西の球場に向かう電車で一緒したときのことが思い出されます。当時、私は日本球団のスカウトから煙たがられる存在でした。でも、三輪田さんは"大変だろうが頑張りなさい"と温かい励ましの言葉をかけてくれました。三輪田さんの死が何も日本球界を変えなかったことが残念でなりません」。

 大慈彌氏は人情の機微に通じている男なのだ。氏は上原についての問いかけによどみなく応えた。

 「数年前なら年棒10億を提示しても欲しいピッチャーだった。でも現状を総合判断した結果、私とメッツ編成スタッフが下した評価は交渉の対象外だった。思うに、上原は早く球団を決めなければと焦ったのではないか。代理人と密な話し合いを経ないで結論を出したと思われるフシがある。両リーグ6地区でアメリカン・リーグの東海岸はピッチャーにとって一番厳しい戦いが予想されるところ。それに先発と抑えが確定していないという両面契約も解せない。ボルティモアの4月はまだ寒い。投球過多になって故障しなければいいが...。上原にとってふさわしい球団はDHのないナ・リーグの温暖地のチームだったのではないか」。

<メジャー事情>

さらに、大慈彌氏はメジャーの移籍契約には順序があるのだと言った。年末から年明けにかけては、ヤンキース入りを決めたC・C・サバシアら超大物FA投手、次いで二・三番手の先発グループ陣、ここらが一段落した後に四・五番手の契約がまとまるのだ。

 メジャーリーグの場合、主力先発投手は中4日がノルマだが、しんがりの五番手あたりになると日程の都合で中五、六日が何回かあって、シーズンの登板数は28ゲームが目安だという。その分、年棒は抑えられたものになるのだが、上原にはこのあたりの登板が体調維持にふさわしいと大慈彌氏は解説した。同じFAでメジャーを目指す前中日ドラゴンズの川上憲伸(33)について「まったく焦ることはない。代理人と共に腰を据えて、自分を生かせる行き先を決めればいい」と言った。

<フォークが生命線>

 長くなった電話の締めくくりは上原がメジャー・リーグを生き抜くための生命線といっていい投球術になった。メッツの環太平洋担当スカウト部長は明言した。「本人が一番分かっていると思うが、フォークボールに磨きをかけること、かつてのキレを如何にして取り戻すかに尽きる。戻れば投球数の半分はフォークでいい。あとの半分はストレートとスライダーを混ぜれば、彼のピッチングは組み立てられる」。
僕はこの話を聞きながら数年前に見た東京ドームの日米オールスター戦を思い起こしていた。そこにはフォークボールを駆使して米国のスーパースター打線を手玉に取る上原がいた。圧巻はサンフランシスコ・ジャイアンツの主砲、バリー・ボンズを3三振に封じ込めるシーンだった......

(終)

WRITER

六車護
1945年香川県生まれ。早稲田大学卒業。高校・大学で硬式野球部員。毎日新聞入社。運動部でプロ野球、ボクシング、経済部で通産省、証券、財界などを担当。運動部長、論説委員を経て退職。現在、フリージャーナリスト、早稲田大学講師。著書に『名スカウトはなぜ死んだか』(講談社刊)、『監督論』(広岡達朗氏と共著集英社インターナショナル刊)などがある。

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