指導者の系譜
第3回 フレディ・ローチ 現代最高のトレーナー
ローチのボクシングジムはいつもオープンで、活気に溢れている。
ローチの言葉
筆者が初めてフレディ・ローチと言葉を交わしたのは、2005年11月のことである。
マイク・タイソン、バーナード・ホプキンス、マイケル・モーラー、バージル・ヒル、ウェイン・マッカラー・・・・・・それまでにパートナーを組んだ有名ボクサーは数知れず。当時の彼は、すでに業界屈指のトレーナーの名声を確立しかけていた。さらに風雲児マニー・パッキャオの名参謀としても評価を一気に高め、その時点で世界中からひっぱりだこの存在だったと言って良い。
そんなローチが聞かせてくれた話は、どれも興味深いものだった。
2003年にマニー・パッキャオがマルコ・アントニオ・バレラをKOした際の秘密兵器はボディショットだったという。「これまで組んだ中で最も才能がある選手は?」との問いには、躊躇わずジェームス・トニー(元ミドル〜クルーザー級まで3階級制覇)と答えた。そしてそのトニーとほぼ互角のスパーを繰り広げたという西島洋介山の才能を讃えた。「日本人ボクサーはめったに国外にでないことで自分の能力を制限している」との言葉には、思わず頷かされた。
そういった数々のエピソードの中でも、個人的に最も印象的だったのは、彼がジョニー・タピア(元Jバンタム〜フェザー級3階級制覇王者)、マイク・タイソンといった盛りを過ぎた名ボクサーたちについて語ったときのセリフだった。
「ジョニー(・タピア)はもう引退するべきだ。歳を取り過ぎたし、ボクシングのキャリアと実生活、その両面からの疲れの蓄積が出て来てしまっている。もう2試合前には引退を説得したのだけど、彼はまた次の試合を計画しているようだね。私たちは互いに大人なのだからこれ以上言うつもりはない。ただ、もうトレーナーとして彼と組むつもりもない」
「マイク(・タイソン)は歳をとり過ぎたとは言わないが、余りにも長い時間このスポーツを続け過ぎたのかもしれない。私と出逢ったときには、もう厳しいトレーニング続ける気迫が残っていなかった。ボクシングに限らず、人生では余りに1つのことを長く続けるといつか倦怠する。私が自分のキャリアを振り返っても、100%のエネルギーを注がずに戦っていた時期が確かにあった。昨今のマイクはそれと同じ時期に差し掛かっているのだと思う。実際に彼の内面には、もうファイトなどしたくない自分がいるはずだ」
パーキンソン病
日本ではあまり報道されていないが、実はローチは「パーキンソン病(神経変性疾患の1つで、身体が震えたり動作が鈍くなったりする)」に冒されている。
ライト級の世界ランカーとして活躍した自身のボクサーキャリアの晩年、力の衰えたローチは最後の6戦で5敗。引退時期を誤ったのは明白だった。その代償として、モハメド・アリと同じ辛い病気を煩うことになった。
「心の底では自身の身体に危険な兆候が出ていることに気付いていた。ボクシングとは相手を痛めつけるのが目的のスポーツだからね。長く続け過ぎた場合には、身体が傷つくことになるんだ」
長いキャリアの末に健康を失いながら、それでもボクシングを愛し続けるローチは、引退後にはトレーナーに転身。ボクシングによって幸福と挫折の両方を味わった男の根底を貫く理念は明確でシンプルだ。まず、「チャンピオンとは生まれるもので作られるものではない」というポリシー。そしてなにより、ボクサーの健康管理を最優先に考えることを決して忘れない。
ハート・トゥ・ハート
ローチは、黄昏期に入ったとはいえまだ知名度を残したタピア、タイソン、マッカラーらのトレーナーを続けることを拒んだ。その気になれば簡単に一稼ぎできる彼らとの仕事を引き受けないことで、メッセージを送り続けた。結果として、他の多くのボクサーたちからの信頼を手にすることができたのだ。
マニー・パッキャオは「フレディはまるで父親のような存在」とローチに全幅の愛情を寄せる。アメリカ西海岸で修行を積む日本人女性ボクサー中村千香も、「フレディは常にボクシングとボクサーのことを考えてくれる人。彼と一緒にトレーニングできて幸福です」と目を輝かせる。
「私はそれぞれのボクサーにとって何が最善かを常に考える。選手たちを1人の個人として扱い、彼らについて学ぼうと努力する。すべてのボクサーはみんな違う人間なんだ。私はどうやって彼らの心の中に入り込み、どうやって信頼を勝ち得るかをこれまで学んで来た。信頼関係が築ければ、私が何かを語った時に彼らはしっかりと聴いてくれるようになる。そうやってボクサーたちのコンディショニング、戦略立てを助けることが出来る」
技術論があっても、ボクサーたちと心が通じ合わなければ必要なことは伝えられない。ハートがないものに、ハートの強さの意味を語ることは出来ない。
ボクサーに対してだけではない。05年10月、突然アポなしでジムを訪れた日本人ライターをも、ローチは温かく迎えてくれた。その爽やかな笑顔の向こうに、彼が現役最高のトレーナーに上り詰めた理由と、彼の指導を受ける選手たちの明るい未来が透けて見えてくるようだった。
勝利の立役者
2008年12月6日------。
業界屈指のトレーナー、フレディ・ローチ。彼のポリシーは、「ボクサーの健康管理を最優先に考える」ことだ。
ローチの最高傑作マニー・パッキャオは、時代を代表するボクサーであり続けたオスカー・デラホーヤを完膚なきまでに叩き潰し、文字通りボクシング界の頂点に立った。傍らでパッキャオを支え続けたローチにも、周囲から最大級の賞讃が寄せられた。
「戦前にフレディが「こうなる」と予言したまさにその通りの流れで試合は進んで行ったんだ」パッキャオは試合後に興奮を隠さずにそう捲し立てた。
この試合から遡ること約1年半前、デラホーヤとコンビを組んでいたローチだったが、フロイド・メイウェザー戦に敗れた直後にデラホーヤから一方的に解雇を告げられた。その因縁の相手への完璧なるリベンジに、「してやったり」の想いは当然あったことだろう。
しかし・・・・・・この「人生最高の勝利(本人談)」のあとでも、ローチはやはりローチだった。
「オスカーは素晴らしいファイターで、最高のキャリアを過ごした。そしていま、私は彼に引退して欲しいと心から願っている。オスカーの周囲の友人たちが、彼をリングから遠ざけられることを祈っている。「惨敗の後に引退するべきではない」などと言うヤツもいるだろうが、それは真実ではない。これ以上戦い続けたら、彼はさらに傷つくことになるんだ」
挫折の悔恨、ボクシングの中毒性、身体への危険、そのすべてを知り尽くす名トレーナーは、倒したばかりの仇敵にも心遣いを忘れない。きっとそんな人物だからこそ、不可能を可能にする勝利の立役者にもなれたのだろう。
(終)
WRITER
- 杉浦大介
- 1975年生、東京都出身。高校球児からアマボクサーを経て、フリーランスのスポーツライターに転身。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、NFL、ボクシングを中心に精力的に取材活動を行う。『スラッガー』『ダンクシュート』『アメリカンフットボールマガジン』『ボクシング・マガジン』『スポーツナビ』『日本経済新聞』など、多数の媒体に記事、コラムを寄稿している。
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