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クラシック音楽のアスリートたち
第3回 ソ連サッカーとショスタコーヴィチ

 

1991年にソ連(ソヴィエト社会主義共和国連邦)が崩壊解体するまで、ソ連サッカー・ナショナル・チームは、それなりのレベルを誇る存在であった。ワールド・カップには1958年の第6回(スウェーデン大会)から参加し、1966年の第8回(イングランド大会)ではベスト4までコマを進めている。オリンピックでは1956年メルボルン大会で金メダルを獲得しているし、1960年の第1回欧州選手権でも見事に優勝している。

ワールド・カップで最優秀GKに与えられる「ヤシン賞」とは、旧ソ連の名GKレフ・ヤシンの名にちなんでいる。また、名FWオレグ・ブロヒンの名を記憶しているファンも多いだろう(その後、ウクライナの代表監督もつとめた)。

ソ連では、サッカーは帝政ロシア時代から盛んだった。すでにこのころ、ナショナル・チームがあったらしい。その後、ソ連としてのナショナル・チームが結成されるのは、1924年になってからである。

そんなソ連のサッカーが、「クラシック音楽」になっていることをご存知だろうか(正確には「バレエ音楽」なのだが)。

旧ソ連が生んだ、20世紀最大の天才作曲家といえばディミトリ・ショスタコーヴィチ(1906~75)である。15曲の交響曲と弦楽四重奏曲、«ムツェンスク郡のマクベス夫人»などのオペラ、«祝典序曲»などで知られている。

彼の生涯は、政治に翻弄された一生だった。特に第2次世界大戦後、スターリンの独裁政権下での創作活動は、ショスタコーヴィチを苦しめた。新機軸の音楽を書くたびに政府から「西洋かぶれ」「人民の敵」と攻撃され、自己批判を要求され、お詫びに国家の意向にそった音楽を新たに発表する......そんなことの繰り返しだった。そんなにつらいのなら、多くのほかの芸術家がそうしたように、亡命すればよさそうなものだが、生真面目で家族思いだった彼は、そこまで踏み切れなかった。

だが、そのために彼の音楽は、20世紀社会を凝縮したような面白さに満ちていることも事実なのだ。「外見」と「内面」が乖離したり接近したりして、実にスリリングな魅力がある。

そんなショスタコーヴィチの趣味は「サッカー」だった。本人は決してスポーツ・マンではなかったのだが、好きが高じて公式審判員の資格までとるほどだった。ノート1冊にビッシリ書き込まれたスコアブックも残されている。

彼が作曲家として活動し始めたのは、ちょうどソ連サッカーのナショナル・チームが結成された時期だった。世界最大の社会主義国のサッカー・チームに、若きショスタコーヴィチは多大な期待を寄せたにちがいない。

WRITER

富樫鉄火
1958年、東京生まれ。日本大学法学部新聞学科卒業後、会社勤務のかたわら、音楽ライター。専門分野は吹奏楽、クラシックなど。著書に『一音入魂!全日本吹奏楽コンクール名曲名演50』正続(河出書房新社刊、共著)がある。現在、吹奏楽ウェブマガジン「バンドパワー」 http://www.bandpower.net/ で、聞き書き「岩井直溥自伝』を連載中。

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