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アスリート列伝 凄い奴がいた
第6回 宮本慎也

 

今年、北京オリンピックで全日本チームのキャプテンを務めたのは、東京ヤクルトスワローズの宮本慎也である。王監督が率いた第1回WBCの時も、立派にリーダーシップを発揮し日本の世界一に貢献した。今回のオリンピックも、星野監督からその統率力を買われ、キャプテンに選ばれた。

宮本慎也堅実であり、華麗な日本一のショート。宮本は守備だけでもお金のとれる選手。

名ショート誕生

私が初めて宮本のプレーを見たのはプリンスホテルで監督をしていた時である。 1990年、同志社大学とのオープン戦。当時、2年生ながらショートを任されていた宮本は、私の目の前でいきなり非凡なところを見せた。社会人の強い打球が、捕球の瞬間いきなりイレギュラーバウンドし宮本の顔面目掛けて飛んだ。普通、反射的に身をかばおうと打球を避けるところである。が、宮本はその球に反応して右手で掴もうとした。「このショートは山勘でプレーしていない。しっかり球を見ている」
その時の宮本のプレーが凄く印象に残り、後にプリンスホテルにスカウトすることになったのだ。

今やゴールデングラブ賞の常連で、プロNO.1と言われるまでになった宮本は、ヤクルトスワローズに入団する前の2年間、プリンスホテル野球部で過ごした。

私は、開幕戦のスポニチ大会で宮本を、いきなりショートでデビューさせた。宮本の潜在能力を高く評価していたからだ。当時、マスコミのインタビューに私も「宮本は将来、現在西武ライオンズで活躍している、プリンスホテル出身の石毛宏典以上のショートになる」と答えていた。

2番バッター

私は、宮本が将来プロ野球に行きたいという気持ちがあることを知っていた。それを見越して私は、「君はクリーンアップタイプではない。1番打者や2番でチャンスを作り、クリーンアップにつなげ、出塁率で勝負するバッターを目指せ」とアドバイスした。以後、プリンスホテルではずっと2番を打たせた。

大学でも高校でも通常、選手は練習の時、フリーバッティングで大きい当たりを打ち、オーバーフェンスして監督に認められるようにアピールする。試合でも、こちらが大きいのを期待していない選手まで大振りしているケースが多い。

私は宮本に、「そんな無駄なことはしないで、バッティング練習の時からライトヒッティング、セフティーバント、バスターエンドラン、セフティースクイズ、スクイズ等を練習しろ。フリーバッティングで大きい当たりを打たなくても試合で使うから大丈夫だ」と言った。

宮本もそれに応えるように、フリーバッティングの他に、小技も身につけようとして熱心に練習した。

WRITER

石山健一
1942年静岡市生まれ。高校3年時、夏の甲子園で準優勝しベストナインに選ばれる。早大、日本石油(現・新日本石油)でも活躍を続け、74年早大の監督に就任。80年プリンスホテル監督、そして89年全日本の監督も務め、95年(~99)長嶋監督の招きで巨人に入団し、編成部長等を務める。現在、アマチュア野球チームの指導と講演活動で全国を飛び回る。

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